自己研鑽・実務実習
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子曰、学而不思則罔、 思而不学則殆 〜「論語」為政篇15〜
子曰く、学びて思わざれば則ち罔(くら)し、
思いて学ばざれば則ち殆(あやう)し。
先生(孔子)は、こうおっしゃった。「(他人や書籍から)学んでばかりで、自分で考えようとしないのは、よく理解できているとはいえない、自分で考えてばかりで、(他人や書籍から)学ぼうとしないのは、(独り善がりになり)大変危険である」
学 この時代には、端的に古典(楽典などを含む)を学習すること。
罔 「网(「あみ」の象形文字)」+音符「亡」からなる「網」の原字で、覆い隠して見えなくするの意。「盲」などと同系
子曰、不憤不啓、不悱不發、擧一隅、不以三隅反、則不復也 〜「論語」述而第七8〜
子(し)曰く、憤せざれば啓せず。
悱せざれば発せず。
一隅を挙げて、三隅を以て反さざれば、
則ち復せざるなり。
孔子は云われた。「問題意識をもって自ら取り組もうという情熱のない者は、ヒントを与えてもピンと来ない。解決の糸口を見出そうと粘り強く努力する根気のない者は、何を教えても身につかない。喩えて云えば、四角いものの一隅を教えたら、あとの三隅を試行錯誤しながら解明する位の意欲がなければ、何一つものにならないのだ」
憤=奮に同じ。やる気がはけ口を求めていきりたつ様。
啓=人の目を開いて物事を理解させること。
悱=ヒ。苛立つ様。言いたいのにうまく表現できなくてイライラしている状態。
発=ふさがったところを開いて明らかにする。
以三隅反=三つの隅の様子を類推して反応を示す。
孔子の「啓発教育」の出典である。啓発とは発き教えることをいう。潜在するものはそれを引き出し、在るものはそれに目を開かせて教え向上させるのだが、憤士なければ教えるものではないぞと発奮させているのである。
斉藤孝 〜現代語訳論語 ちくま新書より〜
類推してわかろうとする気構えがない者はまだ教わる水準に達していない。教えを受けるのには素地が必要なのだ
下村湖人(1884〜1955)〜論語物語(現代訳論語)より〜
先師がいわれた。私は、教えを乞う者が、まず自分で道理を考え、その理解に苦しんで歯がみをするほどにならなければ、解決の糸口をつけてやらない。また、説明に苦しんで口をゆがめるほどにならなければ、表現の手引を与えてやらない。むろん私は、道理の一隅ぐらいは示してやることもある。しかし、その一隅から、あとの三隅を自分で研究するようでなくては、二度とくりかえして教えようとは思わない。
本当に役立つ学習とは〜「奇跡の教室」を読んで〜 日本薬剤師会生涯学習委員会
「奇跡の教室」(伊藤氏貴著、小学館)は、灘校の国語の教師であった橋本武氏(通称エチ先生)のことを書いた本です。
灘校は、昭和43年に初めて東大合格者数のトップという私立高校としての快挙を成し遂げ、「なぜ灘校はそんなにも優秀になったのか?予備校みたいな授業をスパルタ的にやっているのではないか?」といろいろと憶測をよびましたが、灘校の生徒が優秀になるのは、エチ先生の国語の授業と関連しています。
その授業は、教科書を一切使わずに、岩波文庫の中勘助著「銀の匙」1冊を3年間かけて読み通すというものでした。エチ先生は将来に渡って役に立つ授業は何かと考え、国語力が生きていく上での一番基本であり、国語力を身に付けるためには、優れた小説をじっくり読むことが大切だと考えました。しかしそこには、受験に役に立つという観点は全くありませんでした。授業は毎回エチ先生がプリントを配り、銀の匙を読むためのヒントを与え、生徒はそのプリントに自分の考えや意見を記録し、さらに疑問点は自分で調べて記入し、そのプリントを研究ノートとして綴っていきます。また、エチ先生の授業は本の内容から派生したさまざまな横道にそれた内容となり、国語の範囲だけではありませんでした。例えば、ねずみ算のことが出てくると、和算のことまで詳しく話し、明治時代の子供の遊びやお菓子のことまで調べることで、生徒たちは幅広く知識を吸収していきました。
1回の授業では1ページぐらいしか進まないこともありました。授業があまりにも遅く、そして受験に役に立ちそうもないということで、ある生徒が授業の進み方が遅いと先生に質問した時、エチ先生は、「スピードは関係ない。すぐに役に立つことはすぐ役に立たなくなる」と答えました。このようなエチ先生の授業を受けた生徒たちが続々と東大に合格し、教え子たちは異口同音にエチ先生の授業は、世の中に出て役に立ったと話していました。
〜日本薬剤師会生涯学習委員会〜